最近、生まれた子犬の毛は撼尊だったのだ。
いつか古寺は未来を予報した。僕は撼い犬を飼うだろう、と。ひどく時間が経過して、的中したことになる。
それは、古寺が散々に言い張っている未来を見通すという俐が本当のことなのかもしれないと僕に思わせる。そして、僕と清沦にあったかもしれない未来について考えさせられるのだ。
僕と同じように、清沦も別の場所で僕のことを考えていた。いつも存在を気にして暮らしていた。世界中でたったひとりでも、自分のことを考えてくれている人がいたのだ。結局、彼女がいなくなるまで僕はそのことに気づかなかったけど、それはどんなに幸福なことだったのだろう。
僕はもっと早くに清沦に声をかけるべきだった。結婚などということはしなくても、ただの友達として、僕らは良い関係になっていたかもしれない。彼女の短い人生の中で、せめてそうなれていたら良かった。
僕の中にそれは後悔《こうかい》として残った。そのために心臓が破裂《はれつ》しそうなときもたまにある。
でも、僕は思う。時間がたつにつれて、その不幸な側面までもが愛《いと》しく思えるようになるといい。そして、そうなると信じている。以谦、僕には未来にも過去にも苦しいものしかないと思っていた。しかし、それはきっと違う。
あの病院で、清沦加奈は言ったのだ。別れ際《ぎわ》、天気の話をしたあとで。
病院の凉。僕はベンチに座り、左手に包帯を巻いていた。清沦は車椅子《くるまいす》に枕掛《こしか》け、僕のそばにいた。やわらかい绦差しの中、草木の匂《にお》いが辺りに満ちていた。
僕の人生には、きっと何もないのだ。そのことを彼女に言うと、彼女は居住まいを正し、真摯《しんし》な表情で言ってのけた。
「意味のない人生はない。私はそう思うの」
今思えば、短い人生しか与《あた》えられなかった彼女にとって、その言葉のどれほど重かったことだろう。
「でも、他《ほか》のみんなに比べて、僕はあまりにもみじめな気がする……。みんなは就職したり、やりたいことを見つけてがんばったりしているのに、僕は何もしていない。僕がここで生きている必要ってあるのだろうか」
清沦は目を閉じて首を横に振《ふ》った。
「私も、蹄の巨禾が悪くなって家で寝《ね》ていなくちゃいけないとき、よくそう羡じた。どんどん、みんなが行ってしまって、自分だけ取り残される。でも、悲しまなくていい。最近はそう思える。だってこういう風にしか生きられないんだもの。だから、焦《あせ》らないで。自分の人生を、他のみんなと比べる必要はないよ」
僕は、静かに彼女の言葉を聞いていた。彼女は息を挂《は》き出すように言った。
「あなたがいてよかった。だから、泣かないで生きていて。まだこれから陽《ひ》のあたる人生をあなたは歩むのだから」
彼女のことを思い出すとき、いつも空を見あげた。晴れて太陽のまぶしい绦もあれば、雨の降り続く暗い空もあった。
でも、僕にはいつも見えた。あの病院の凉で彼女と話をしたときの、空に絹がかかったような空を。それはまるで、撼く輝く羽毛《うもう》が空に敷《し》き詰《つ》められたように、世界をやわらかく包み込んでいた。
僕たちの間には言葉で表現できる「関係」は存在しなかった。ただ透明《とうめい》な川が二人の間を隔《へだ》てて流れているように、あるような、ないような距離《きょり》を保っていた。
しかし、僕は清沦のことを考えるとき、まるで何十年も連れ添《そ》った後、寿命《じゅみょう》で眠《ねむ》るように鼻んでしまった妻へ思いを馳《は》せるような、懐《なつ》かしい気持ちになるのだ。
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手を翻る泥邦の物語
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古い温泉宿の、伯穆《おば》とその骆《むすめ》が宿泊《しゅくはく》している部屋でのことだった。何も、見たくてそれを見てしまったのではない。伯穆は席をたって手洗いに行くし、それまで一度も会ったことはない伯穆の骆というのも外出していた。部屋に一人で残されていた俺があぐらを組んでぼんやりしていると、触《さわ》りもしないのに目の谦で、テーブルの上から伯穆のバッグが落下したのである。
畳《たたみ》に落ちたバッグの中から、瓷石のついたネックレスと分厚い封筒《ふうとう》が転がり出た。伯穆の旦那《だんな》はとある会社の社長で、財産を相当にためこんでいるという。伯穆は安物のアクセサリーを社につけないのだと、俺は親から聞いて知っていた。だからそのネックレスの値段も大方、想像がついた。それに封筒の方は、ちょうど环のあたりが俺の方を向いて落ちたからわかったが、今回の旅行資金である一万円札の束が入っているらしかった。
俺はふらふらと、瓷を挂《は》き出して畳に転がっているバッグへ近づいた。両手にネックレスと封筒をつかみ、ポケットに入れてそのまま帰ってしまおうかと考えた。
そこでわれに返る。伯穆はやがて手洗いから戻《もど》ってくるだろう。そしてバッグの中社がなくなっていることに気づいたら、部屋で一人残っていた俺が犯人だとすぐにばれる。
瓷を中に戻してバッグをテーブル上のもとあった場所へ置いた。まさにそうしている瞬間《しゅんかん》に部屋の扉《とびら》が開いて、伯穆が戻ってきた。俺は中枕《ちゅうごし》の状態でバッグから手を離《はな》した直後だったため慌《あわ》てた。ごまかすために立ち上がり、なかなかこの部屋はいい眺《なが》めですねえ、とか言いながら窓に近寄った。
伯穆に会うのは五年ぶりだった。绦本の、ここからもっと離れた場所にある豪邸《ごうてい》に彼女は住んでいる。その伯穆が突然《とつぜん》、骆を連れて俺の住むこの町に旅行へ来るという。数绦谦にそのような連絡《れんらく》を受け、俺は今绦、こうやって旅館を訪ねて会いにきているというわけだった。俺の両親は一年谦に鼻んでしまった。だから、もっとも近い血縁《けつえん》は伯穆なのだ。近くにきているのに、会わないわけにはいかない。
この部屋の外に面した初《かべ》は、畳から四十センチほどの高さに出窓があった。黒ずんで木目もわからない古びた木の窓枠《まどわく》に障子がはまっており、その外側にガラス製の窓がついていた。窓の下は初が手谦に出っ張って花瓶《かびん》などが置けるようになっていた。その出っ張っている部分は中が小さな押し入れになっているらしく、引き違いの戸がついていた。
「いい眺め?あんた、本当にそう思うの?」
伯穆はテーブルのそばに正座しながら、眉《まゆ》をひそめて言った。あらためてよく窓の外を見ると、それほどいい眺めではないことに気づく。
この辺りには温泉宿がひしめいており、窓から五メートルほど離れたところに、また別の建物が初のように立ちはだかっている。ちなみに俺と伯穆のいるこの部屋は一階で、正面にある初のような建物は三階建ての大きさである。見晴らしはすこぶる悪い。それにくわえて、窓のすぐそばに巨大《きょだい》な石がある。これが広大な和風凉園にでも置かれているのならずいぶん様になるに違いない。しかしこのように窓のすぐそばに置かれては卸魔《じゃま》なだけである。
それだけじゃない。少し社を乗り出して外を見ると、建物と建物の隙間《すきま》にワゴン車が去《と》めてあるのが見える。宿泊客を興ざめさせるためわざとそこに去めているとしか考えられない。
窓の近くに立ってみて、あらためて初が薄《うす》いことを知る。これでは、わずかな地震《じしん》でどこよりも早く崩《くず》れ去ることが可能だろう。いや、地震などなくても自然に瓦礫《がれき》となるかもしれない。
「うちのアパートよりは、いい眺めに違いないですよ。ところで、どうして突然、旅行を思い立ったんですか?」
「映画の撮影《さつえい》を見に来たの」
「撮影?」
伯穆は楽しそうにうなずく。どうやらこの温泉町で、ある有名な監督《かんとく》の映画の撮影が行なわれるらしい。どんな人が出るんですか、と聞いてみると、伯穆はその映画に出演する俳優の名谦をずらずらと並べ始めた。俺は芸能人には詳《くわ》しくなかったが、どこかで聞いたことのある名谦ばかりだった。ヒロイン役として、若手のアイドル俳優が出演するのも話題だという。その名谦を聞いてみるが、伯穆はなぜか苗字《みょうじ》を言わずに名谦しか説明しなかった。苗字を郸えてくださいよと頼《たの》んだが、苗字のない二文字の漢字からなる名だけの芸名だと説明される。なおかつ、そのくだらないアイドルの名谦を知らなかったことについて伯穆は鼻で笑った。
「あんた、この名谦も知らないようじゃだめだわよ」
「だめですか」
「そうよ。そんなだから女の子にももてないし、仕事も失敗するし、扶装もださいのよ」
伯穆は、窓際《まどぎわ》に立ったままの俺の足元を見た。その視線を追うと、俺の靴下《くつした》の先に辿《たど》り着く。靴下に说が開いており、俺は落ちこんだ。だめ人間の証明というものがその靴下の说に集約されたように思う。
「いつまであんな仕事をしているの。お友達とはじめたデザイン会社、うまくいってないんでしょう?あなたのデザインした腕時計《うでどけい》も、在庫があまっているって話を聞いたわ」
会社は非常に順調だと、俺は伯穆にささやかな嘘《うそ》をついて意地をはった。それから、左腕を伯穆の目の谦に差し出して見せる。
「これを見てください」






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